スポーツ部へ入部のこと。
我が家では今年、
二人スポーツに入部した。
一人はソフトボール部で一人は弓道部。
スポーツ部は毎日練習で大変だなあ、という親の思いがあって、
勉強が心配だなあとか体力が持つかなあ、とかいろいろ心配しながらも、
始まってみると、本当に、毎日練習で大変そうだ。
でも今は一生懸命にやっている。
特に「ソフトボール部」入部の中一生は本当に一生懸命で微笑ましい。
当初、「ルールとかわかる?」と聞くと、
「わかるよ。ほとんど野球と同じだから~」という答え。
私は胸の中で、プレステの「パワプロ君」のことを想定しつつ、
あれで野球が好きになったんだよなあ、と思った。
そして、あと、一番上の子のプロ野球好きのとかも影響しているかなあ、
飽きずにやれるかなあ、とか、いろいろと思っているのだが、
今のところ、かなり面白がって、熱中してやっている。
17人の新入部員とのことで、「目指せ!レギュラー、ベンチ入り!」もかなり
大変そうだが、目指しているみたいだ。
そうでなきゃ~。
練習試合もたくさんやって(応援ばかりけど)
なかなか勝てないらしくて
毎日、くやしさや、面白さや、楽しさで満ちているっていう様子をみていると、
頑張れ、って自然に思う。
案の定、初めての中間試験は悪かったけど…。
でも、その一生懸命にできる気持ちがあれば、きっと、
それは、別のことににも向けられるんだ、と思う。
子供に流れている一生懸命の時間は痛いくらいなのだ。
父のこと、弟のこと。
私の父は今年80歳で、
三年前に連れ合い(つまり私の母)を亡くして
一人暮らしをしている。
若い頃東京で暮らして、東京が父の青春の地である。
たまにぶらっと東京に行きたくなるらしい。
夕べ、弟の嫁さんから電話が来た。
「あ、父がまたお邪魔しているんですね~」と
すぐピンときた。
弟の嫁さんは、いい人で私もすっかり仲良くさせていただいている。
弟は18で家を出て、それ以来もうすっかり東京人となって暮らしている。(と思う)
弟が、高校を終えて福島の家を出て、東京で暮らすことになって、
父と母と私と、荷物とともに送っていった日のことを覚えている。
初めて住んだ場所は、三河島の、東京でもうらぶれた感じの飲み屋街のようなところにある
アパートとは呼びがたいアパートの二階であった。
あまりきれいでない流しがあるだけの六畳一間に弟は住むことになった。
荷物もそんなに多くなく、引越しはいたって簡単に済んだ。
確か大家さんも近くに住んでいて、感じも悪くなくて、
月並みに、よろしくお願いします、と挨拶した。
天気も良くて、いろいろなことがパッパッと済んだ。
その日のうちに帰らなくちゃいけなくて、なんだか、唐突に別れの時はきた。
アパートの入り口で一人残った弟は、
振るというのでもなく、片手を上げて、ほんのり笑って、私たちを送った。
姿が見えなくなるまで私と母は弟の姿を車から振り返って見て、
とうとう姿が見えなくなると、
私たちは声をあげておいおい泣いた。
母は福島の家に帰ってくるまで泣いていた。
そんな風に人には別れの時がやってくるものなのだ。
別れ、と言うものではないのかもしれないけれども、
それ以来、私は本当に数えるほどしか弟に会うことができなくなった。
私自身もその後、福島から青森に嫁にきたし、
嫁にきてからは、何年に一度、と言う感じでしか会わなかったし、
電話で話をするということもめったになかった。
母が亡くなった時、私は十年ぶりで弟にあったのだ。
十年の間に弟の顔は年を取って、厳しさを増していた。
母が亡くなってやっと、一人暮らしにも慣れた頃、
こうして、父はたまにぶらっと、東京に行く。
弟と一緒に、大丈夫か~?と思うくらいお酒を飲んで、
ひっくり返るらしい。
弟は仕事の話を父として、
二人で盛り上がっているのだ。
弟は小さいながら、東京に一戸建ての家を持つようになっていた。
父と弟、二人はたまにそうやって酒を飲む。
主婦の一日。
ちょっとのうちに
裏庭がすごいことになっている。
画像が。アキタフキ
葉の直径は数十㎝から1mにもなる大きな蕗。
フキの茎は空洞になっているので、
適当に煮上げて、水にさらし、
中に下味をつけたひき肉(豚でも牛でも合挽きでも鶏ひきでもなんでもいい)などを詰めて
出汁汁などでことことと煮含めて食べるとおいしい。
中に詰める具だが、以前、身欠きにしんを詰めたものを
薄口の醤油でさらっと煮たものをいただいたことがあって、
これも、忘れられないおいしさだった。
アキタフキは淡白で詰める素材の味を吸い込むので、
そこを考えたレシピにするといいと思う。
この葉っぱで子供達は小さい時に遊んだっけなあ。
傘をさすみたいにして…。
久しぶりにとてもいい天気で
洗濯物がどんどん乾く。
とりこんでたたんで…多い。
なんせ、七人分…。
んでも、洗濯物をたたみながら、
周りを見ると、子供達の漫画が山済みになっている。
また、ここもかたづけなきゃあ~とか思いながら、
一人、いろいろと考え事をしていたら、
ふと、自分の小さい頃に初めて読んだ漫画のことを思い出す。
それは、確か小学校一年生、という雑誌に掲載されていた
「ひみつのアッコちゃん」
アッコちゃんが、鏡を使って変身しなきゃならないことができたのに、
その鏡をどこかに落としたことに気がついた。
で、探しに道を戻るのだけど、それが
道の脇の側溝に落ちていて~。
で、どうしたんだっけなあ~~~~~~??、
ってそこまでは思い出せたのに、
その先が思い出せない~。
って、ばかな主婦の午後でした。
それにしても、家事って、きりがない。
このきりがなさを知っている人はどれくらいいるでしょうか?
台所を掃除する。
今朝は久しぶりに
台所を、までに(津軽弁で丁寧に)そうじした。
時々、整理していかないと、
台所も冷蔵庫も、居間もどこでも、けっこう汚くなっていく。
家事って、やってもやってもきりがなく、
やってもやっても、終わらない。
あんまり終わりないことをやっていると
いやになってくる。
が、きれいになれば、やっぱり気持ちが良い。
が、また、どうせ散らかってくるんだろうけど…。
「ほぼ日」に
週一でよしもとばななさんがコラムを書いていて、
けっこう、女の人の赤裸々なことも書いてたりして、
ちょっと恥ずかしい、と思うこともあるんだけど、
今日のは、とても、面白くて、
男っていうものについて、
「なるほどなあ~」と心に残った。
U.M.A.(未確認動物) (19、「男だから?」)
あらためて、タイトル、未確認動物、が、面白いなあ,流石だなあと
しきり感心してしまった。
男も女も、確かに未確認動物、なのだ。
面白い!
二十三回目くらいの春のこと。
春っていい。
二十代の頃、私も他の皆もするように
ギターを弾いて曲を創ったりしていた
恋の歌とかでなくて、
恋をして恋で傷つくなんていう日常でもない若い日々で
普通に生活している中で
傷ついたり、悩んだり、人生について考えたり…。
どこにも出ない一日を過ごしていて、
夕方、黄昏時に外にでて、水がたんぼに
いっぱい張ったところに夕日の光りが差し込むという光景に、
もうなんともいえず、
幸せになった。
たんぽぽの敷き詰めらた中に
梨畑が広がっていて、その甘い香りを身体いっぱい吸い込んだり、
そういうことで満たされたりもしたなあ…。
当時、
宮澤賢治の世界観にひどく打たれて、
光と風の中に命を感じ、
科学と宗教が融合していて~、みたいなことが
とてつもなく自分に大きな世界観を教えてくれたように思う。
賢治の中に出てくる、
生と死、人の業とか悲しみ、
そういうことが人にあるということを感じたとき、
やさしくなれるような気がした。
心の痛み、ということ。
賢治を好き、という人に出会うことが少なくなったけれども、
まだ若くて素敵な女の人が、
先日、賢治を読んでいる、ということを知って、
なんだか、また胸の痛みを思い出した。
この痛みを感じられる時、
私はまだ、大丈夫、と思うのだ。
今年はもう五十回もの春を迎えたのに、
私にあの頃の圧倒的にむせ返るような春を味わうことはもうないのかもしれない。
あの若い頃の春に、
私は歌を創っていた。
「愛するもの達は、光と風、
語りかけてくる 遥かなるもの
零れ落ちるような星の夜には
透き通っていく 深い夜へ」