元気でいること。 | ご飯です!

元気でいること。

自分でも、元気がない、とこの頃思う。

低下したままのモチベーション。

低下してないモチベーションもあるけれども。


人が生きるために、何が必要なのだろう。

元気じゃないのはなぜだろう。


義父母の介護がかなり必要になってきて、

手すりをとりつけ、ベッドにし、

ヘルパーさんが来てくれるようになり、

本当に助かっている。


長い介護生活は介護するほうもされるほうも

お互い大変だ。

ヘルパーさんが毎日家に来てくれるようになって、

始めは家の中に人が入るということに

かなり不安があったのだが、

今は、かえって、介護するということがオープンになって、

いろいろと心の奥で感じていた家族の葛藤が

少し救われたように思う。

ちょっとしたことでいらいらしてしまうことが

本当はあって、理屈ではわかっていても

皆、大変な思いで生活しているのだ。


今きてくれているヘルパーさんのすばらしいなあ、といつも感心するのは、

人と接するやさしさだ。

とりあえず、笑顔を見せる、ということは、

やはり、とても大切なことだ。

仕事なのだから、とも言えるが、

根のところにあるサービス精神みたいなものがある。

知性のあるやさしさ。

介護される人間のほうもいろいろと考えて、

自立できることを考えていけばよいし、

介護を受ける節度について考えるのは

本当に大切だと思う。

ヘルパーさんが来てくれて、

いろいろ問題も多いのだろうけれど、

介護保険はやはり、今まで閉鎖的だった家族内の介護にとって、

明るい光りを差し込んでくれたものだと思う。

お世話になるところはお世話になれる人いるということの制度を

もっといろいろ取り入れていけば、介護の現場を

もっと良くしていくことができると思う。


人は弱くて、葛藤の中で生きているのだと思う。

そういう弱いところに蓋をしてしまうようなことが

やはりある。

蓋をするとひずみが出てくる。

解決の糸口を探さなければいけない。

ひずみは、

人間関係の中で苦しい思いをそれぞれに与える。

苦しいという状態はその人の責任だけではなく、

周囲の環境にも起因していて、

そういうことに対して無知でいるともっと苦しいことになるのだと思う。

それから、

ひとつびっくりしたが、知っていないといけないと思ったことは、

介護を受けるのに、介護施設の利用サービスの計画をたてるのだが、

そのサービス計画書を作成するのはケアマネージャーだとばかり思っていた。

けれども、基本的に介護を受ける人がその計画を立てることになっているのだ。

けれども、一般的に介護を受ける側はその計画書をたてるのはむずかしいので、

ケアマネージャーさんに立ててもらうようになっているのだそうだ。

要するに、自己責任、という今の時代の流れを

介護保険利用者に適応されているということだ。

何もかにもが自己責任になっている。


取り付けてもらった

手すりを見ながら、ふと、

「人が生きるために、何が必要なのだろうあ?」と思う。

どうすれば元気になれるのだろう…と。

手すりをつけたからといって、

それでいいわけでもないよなあ…。

人が元気に生きるのはむずかしい日々もある。